■抜き取られた夜の記憶




『唯乃』とは僕の上の名前である。

雹零霤さんが僕に声をかけているのだろうか・・・?
――何故?


「・・・どうしたのですか・・・?
 このような御時間に・・・――忘れ物ですか・・・?」


彼女の声はとても綺麗で、透き通っていた。
氷と雪の結晶が混じり合って、融けたような声色・・・――
なんて、綺麗な声なのだろうか・・・――

今考えてみれば、
彼女の声を僕は初めて聞いたのでないだろうか。
何て・・・何て綺麗な・・・――


「え・・・僕は・・・別に・・・――」


改めて彼女を見る。

つくづく思う・・・――
本当に、本当に人形みたいで、
雪の結晶、氷のような彼女。

どうしてこれほども、冷たい雰囲気なのだろうか。

夕陽が沈む寸前、教室が夕陽の明かりで赤褐色なのに。
彼女の周囲だけ、とても寒々しい雰囲気があって・・・――


どうして、いつも無表情なのか――

感情がない訳では、ないだろう・・・?――

僕には君が分からない――

だけど、だけど避けたくなんてない・・・――

君を避けるだなんて、僕自身が嫌だから・・・――

でも、冷たい・・・――

無表情で・・・――
眉一つ・・・――
口元僅かも・・・――
動かさない・・・――


「・・・それでは・・・何故このようなお時間に教室に・・・?」


「そ・・・それは・・・――別に・・・僕・・・は・・・――」


無表情のまま聞かれても、返答が思いつかない。
まさか、
『雹零霤さんの事を考えていたら遅い時間になった。』
だなんて恥ずかしくて言えない。

僕と彼女は何の接点もないのだから。
ただ、教室が同じで・・・――それだけだから。


「・・・早く、帰った方が良いですわ・・・――」


僕の話は聞いているのだろうか・・・?とも思うけれど。
でも、無表情だから感情が読めなくて。
それでも声は物凄く綺麗で・・・――飲み込まれそうになる・・・。

でも・・・――


――『・・・早く、帰った方が良いですわ・・・――』――


どうして、わざわざそんな事をいうのだろうか・・・?――

雹零霤さん本人こそ、
何故まだこの学校に残っているのか分からない。
彼女を探るつもりはないけれど、でも何だか引っかかる。
分からない・・・――分からないけれど、でも・・・――


「ひょ・・・雹零霤さん、は・・・
 どうしてこんな時間に学校にいるの・・・?」


気が付けば、そんな言葉か自分の口から発せられていた。
無意識だった・・・――
何故こんな事を聞いたのだろうか?

彼女は、無表情のままこう言った。


「・・・お兄様と、お約束がありますの・・・――」


小さく、細くて、綺麗な声・・・――


「・・・そう・・・なんだ・・・――」


返答が、見つからない。

どう答えて良いのか、分からなかった。
聞かなければ良かった・・・――そう思った。
それでも、彼女は表情を変えない。
無表情のまま、僕だけを真っ直ぐ見据えている。


不気味なのか――

怖いのか――

寂しいのか――

悲しいのか――


どうなのだろうか・・・?――


「・・・消えたくないのなら、早く帰った方が良いですわ・・・――」





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